2011年04月14日

岩手、被災の犬や猫57匹保護 飼い主不明

岩手県は14日、震災で飼い主が分からなくなるなどした犬39匹、猫18匹の計57匹を保健所や動物病院で保護していると発表した。

 県は飼い主が分かり次第、引き渡す。一時的にペットとして引き受けるボランティアも募っている。

 県は3月22日、県獣医師会や県内の動物愛護団体でつくる災害時動物救護本部を設置し、けがをした動物の治療などにあたっている。

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2011年04月12日

世界最大級に成長した超大型犬のワンちゃん ! !

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「預けた猫が返ってこない……!」協会阪神支部で何が起こっていたのか(後編) - 日刊サイゾー

“「意外に知られていませんが、動物福祉協会は今でも預かった犬や猫の大半を行政に引き渡して、殺処分に加担しています。確かに野良猫や野良犬猫の処分に社会がどう取り組むべきかは大きな問題で、殺処分もひとつの方法だという議論そのものは、私はあってもいいと思います。であれば、こうした事実を活動方針として堂々と訴えるべきです。薬殺の実態を活動報告や収支報告書にも一切載せず、一方で保護をPRしながら寄付金を募るのは詐欺行為と言われても仕方ないでしょう」”

「預けた猫が返ってこない……!」協会阪神支部で何が起こっていたのか(後編) - 日刊サイゾー
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動物愛護は金になる!? 動物福祉協会幹部が不正で辞任

“団体名は「(社)日本動物福祉協会」(本部:東京都品川区)。このほど、一部の幹部による協会資金の不正流用が発覚し、監督する神戸市が関係者に対して立ち入り調査をするなどの騒動が起こっているのだ。
 協会資金を不正に着服していたのは、同協会前阪神支部長のN島氏。2008年には、同協会の推薦により環境大臣表彰を授章している。すでに支部長を辞任しているN島氏だが、0その理由は「一身上の理由」とされている。だが、事情を知る会員のAさんは次のように語る。

「N島さんは、顧問獣医師のK原氏らと共謀して協会資金を不正流用してきました。その事実を知った一部の会員が神戸市や環境省へ電話とメールで内部告発をし、これにより他の会員にも問題の存在が広がり、N島さんは会にいられなくなったのです」”

動物愛護は金になる!? 動物福祉協会幹部が不正で辞任(前編) - 日刊サイゾー (via otsune)
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2011年04月09日

自給自足


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今日も反省の色なし(masayangの日記

この人犬や猫を我が子の様に家族にしてる人間の気持ちが分からんのだろうな、順位なんで当然やってるよw 現場をいかに知らない人って本当嫌だね・・・・食料無くなったら犬でも食うのか?
シナやチョンコと同レベルw

今日も反省の色なし(masayangの日記
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2011年04月08日

飲ませてよ!


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2011年04月06日

捨て犬「クロ」

捨て犬「クロ」
私はネコは飼ったことがあるが、犬を飼ったことがない。
今もマンション暮らしで、犬は飼えない。

残りの人生の中で、一度は犬を飼ってみたい。

できるなら、柴犬。
もしくは、こんな犬なら、真っ黒な犬でも、いい。


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真っ黒な雌の子犬がハバロフスクの収容所にいた。名前は「クロ」。日本人抑留者たちが飼っていた。
シベリアでの抑留生活も10年を過ぎたころ、野外の作業所に捨てられていたのを、だれかが拾ってきたらしい。抑留者たちはわずかな食事を少しづつ与えてかわいがった。
当時は抑留者の処遇も徐々に改善され、日本から小包も届いた。井上平太さん(84)も菓子などを与えては、クロの頭をなでた。
「日本人にはなつくのに、ソ連兵を見るとけたたましくほえてね。まったく私らの心情をわかった賢い犬だった。」

(中略)

クロが球拾いをする野球大会は「クロ野球」と呼ばれ、抑留者の大きな楽しみだった。深夜、収容所の火事をクロが見つけ、事なきを得たという手柄話も残っている。先の見えない抑留生活の中で、井上さんにとっても、クロは心の支えだった。昼間の作業を終え、くたくたになって帰ると、クロがしっぽを振って迎えてくれた。疲れが和らいだ。
56年10月の日ソ共同宣言調印を機に、すべての抑留者の帰国が決まった。クロとの別れでもあった。



「クロだ!クロがいるぞ」。抑留者のひとりが、岸壁を指して叫んだ。
56年12月24日朝。井上さんを含め、最後までシベリアにとどめ置かれた1025人の抑留者が、帰還船「興安丸」でナホトカの港を出港した。その直後、クロが氷の海に飛び込んだ。
ハバロフスクからナホトカまで、約800キロ。だれかがこっそりクロを帰国列車に乗せたのか。真相は分からないが、とにかく、クロはナホトカまで来ていた。
「戻れクロ、死んでしまうぞ!」「岸に帰るんだ!」。抑留者たちは甲板で叫んだが、クロは割れた氷を渡り歩いて追ってくる。氷の間から海に落ちた。抑留者たちの悲鳴が上がった。

何度も帰還船の航海をこなし、"引き揚げの父"と呼ばれた玉有勇船長が船を止めた。縄ばしごで下りた船員が、クロを抱き上げた。甲板に響く歓声。クロはぶるっと体を震わせて、全身の水を振り払い、しっぽをうれしそうに振った。みんな涙が止まらなかった。

そのままクロも舞鶴港(京都府)に「帰還」した。近くの住民に引き取られ、数年後に生まれたクロの子は、玉有船長の家に贈られた。船長は73年5月に66歳で亡くなったが、長男の正明さん(70)は「抑留者とクロの交流に父も心を打たれたのでしょう。もらった子犬はクロと同じく真っ黒で、おとなしい犬でした」と振り返る。



11年間に及んだ過酷な抑留体験だったが、井上さんは、クロの話をする時だけは、目を細めた。「自分を救ってくれた日本人のことを、クロは命がけで追ってきた。互いに苦しかったからこそ、心が結びついた。つらく長かった日々の中で、そこだけが今も輝いているようです。」


『読売新聞 2005年9月25日付け 朝刊』

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心がぽかぽかするニュース

販売元:文藝春秋
発売日:2006-08
おすすめ度:★★★★☆

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2011年04月05日

OH!BAD


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2011年04月04日

救助された犬 飼い主と再会

小さな、ほんの小さな事でも本当に良かったと実感します・・・
救助された犬 飼い主と再会
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