捨て犬「クロ」
私はネコは飼ったことがあるが、犬を飼ったことがない。
今もマンション暮らしで、犬は飼えない。
残りの人生の中で、一度は犬を飼ってみたい。
できるなら、柴犬。
もしくは、こんな犬なら、真っ黒な犬でも、いい。
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真っ黒な雌の子犬がハバロフスクの収容所にいた。名前は「クロ」。日本人抑留者たちが飼っていた。
シベリアでの抑留生活も10年を過ぎたころ、野外の作業所に捨てられていたのを、だれかが拾ってきたらしい。抑留者たちはわずかな食事を少しづつ与えてかわいがった。
当時は抑留者の処遇も徐々に改善され、日本から小包も届いた。井上平太さん(84)も菓子などを与えては、クロの頭をなでた。
「日本人にはなつくのに、ソ連兵を見るとけたたましくほえてね。まったく私らの心情をわかった賢い犬だった。」
(中略)
クロが球拾いをする野球大会は「クロ野球」と呼ばれ、抑留者の大きな楽しみだった。深夜、収容所の火事をクロが見つけ、事なきを得たという手柄話も残っている。先の見えない抑留生活の中で、井上さんにとっても、クロは心の支えだった。昼間の作業を終え、くたくたになって帰ると、クロがしっぽを振って迎えてくれた。疲れが和らいだ。
56年10月の日ソ共同宣言調印を機に、すべての抑留者の帰国が決まった。クロとの別れでもあった。
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「クロだ!クロがいるぞ」。抑留者のひとりが、岸壁を指して叫んだ。
56年12月24日朝。井上さんを含め、最後までシベリアにとどめ置かれた1025人の抑留者が、帰還船「興安丸」でナホトカの港を出港した。その直後、クロが氷の海に飛び込んだ。
ハバロフスクからナホトカまで、約800キロ。だれかがこっそりクロを帰国列車に乗せたのか。真相は分からないが、とにかく、クロはナホトカまで来ていた。
「戻れクロ、死んでしまうぞ!」「岸に帰るんだ!」。抑留者たちは甲板で叫んだが、クロは割れた氷を渡り歩いて追ってくる。氷の間から海に落ちた。抑留者たちの悲鳴が上がった。
何度も帰還船の航海をこなし、"引き揚げの父"と呼ばれた玉有勇船長が船を止めた。縄ばしごで下りた船員が、クロを抱き上げた。甲板に響く歓声。クロはぶるっと体を震わせて、全身の水を振り払い、しっぽをうれしそうに振った。みんな涙が止まらなかった。
そのままクロも舞鶴港(京都府)に「帰還」した。近くの住民に引き取られ、数年後に生まれたクロの子は、玉有船長の家に贈られた。船長は73年5月に66歳で亡くなったが、長男の正明さん(70)は「抑留者とクロの交流に父も心を打たれたのでしょう。もらった子犬はクロと同じく真っ黒で、おとなしい犬でした」と振り返る。
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11年間に及んだ過酷な抑留体験だったが、井上さんは、クロの話をする時だけは、目を細めた。「自分を救ってくれた日本人のことを、クロは命がけで追ってきた。互いに苦しかったからこそ、心が結びついた。つらく長かった日々の中で、そこだけが今も輝いているようです。」
『読売新聞 2005年9月25日付け 朝刊』

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